イタコの血の目醒め
イタコ自身が語るその半生 第一章
『イタコ』聞けば皆さんは何を思い浮かべますか?
青森県下北地方の恐山にいる霊媒師でしょうか、目に不自由を患った女性でしょうか、あるいは死者の霊を降ろす多少オカルトめいたその姿でしょうか。多くの方がお持ちの情報の中には、まったくの的はずれなものもあれば、あながち嘘や大げさとは言えない的を射たことも含まれています。
今回、電話占い「天啓」のスタッフの方から、悩めるお客様に向けて霊媒師や霊能者、イタコというものについてもっと知っていただくため、ということでこの原稿のご依頼をいただきました。
さてどうしましょう、と少し戸惑いましたが、霊能者やイタコというものがいったいどういうものなのか、皆さんがお悩みを語るために手にした受話器の向こうでは、どんな人が霊能者としてご相談を受けているのか。あるいは今までイタコ霊能者として、口寄せによりどんな仏降ろしや神降ろしを行ってきたのか。
たとえば、恋愛のご相談ではお互いの縁の端と端を結び付けるためにお相手に想念を送り、彼の方からご相談者様に近付いてくるようにしたり、イタコ本来の能力である口寄せでは、急なご病気で亡くなられたお身内の方の最期の想いを伝えるために霊を降ろしたりを行っております。
そういった話も織り交ぜながら、私自身について語らせていただくことで、お悩みを抱えながらもお電話をためらわれている方々に向けて、ちょっとした取っ掛かりになれば幸いに思い書かせていただきました。
さて一口にイタコと申しましても、すべての霊能者が青森県生まれや青森県育ちというわけではございません。現に私自身も青森県生まれではございません。それでも私の母方の曾祖母は青森県の人で、実際にイタコとして幾人もの人に頼まれては、口寄せによって仏降ろしを行っていたと聞き及んでおります。
残念ながら私が生まれる以前に亡くなってしまい、直接その存在を知ることはありません。しかし祖父母や両親に、曾祖母のその人となりや彼女が見せた不可思議な力の話、そして最近になってもかつて曾祖母に口寄せや神降ろしをしてもらい、その心が洗われた、亡くなった大事な人の声で会話ができたとされる方々のお身内から何通も届くお手紙などを見るにつれ、「あぁ、私の身体にもそのイタコとしての血が流れているのだ」と思わされ、今でも身に沁みております。
しかしながら私自身は、もともと望んでこの世界に足を踏み入れたのではございません。
それではどのような人生を経て私がイタコとして、そして今は電話鑑定による霊能者として皆様のご相談をお受けしているかお話しましょうか。たとえばインターネットなどでイタコを検索されますと、『目に不自由を持ってしまった女性が、現役のイタコに弟子入りして、様々な苦行を経てイタコとしての能力を身に付け独立する』おおむね書かれてあるかと思います。私の場合、あれは忘れもしない小学校低学年の頃のお話です。
ある日突然、視界の中にポツポツと黒い斑点が見え出し、それが時間とともに広がり始めたのです。そして通院治療の甲斐もなく、そのまま私の視力は急激に落ちていき弱視となったのでした。幸いにして全盲とまでは至らなかったものの、それこそ牛乳瓶の厚底のようなメガネを掛けなければ視界は思うようにならず、私の世界はすべてが幾重ものガラスを通して見るようになり、太陽の光を見て眩しいと感じる明るさや、新緑の山を見て吸い込まれるような自然の活力を感じることができなくなったのでした。
当時、小学生だった私は子供心にこれからの人生を悲観したのでした。しかし以降の日常の生活で、それ以上は変わったこともありませんでした。特にいじめに遭うこともなく、人並みに遊ぶ友達もいて、勉強も平均より少し上くらいを保ち、メガネを掛けながらも不自由な体育の授業にも参加して、毎日をそれなりに楽しんでいました。
しかし今にして思えば、ちょうどこの頃から妙に勘が鋭くなった、という自覚はありました。前を歩いている人が次の交差点で右に曲がるとか、今日のプロ野球の全試合結果がわかるとか、始めはごく単純な予測の範囲だったものが、そのうちにたとえば何分後に雨が降り出すとか、明日は風邪を引いて●●さんが休むとか、ある種の予知めいたことまでも見えるようになったのです。
それでも曾祖母から流れる血を自覚することはありませんでしたが、なんとなくとは言えなぜこんなに先のことがわかってしまうんだろう、と自分自身に少し恐れを感じたことは否めません。もっとも家族にさえそのことは話しておらず、そっと自分の心に留めておくだけの秘密でしたが。
(※以上の文章は、一部加筆修正の上で掲載しております。)