踏み出したイタコへの道
イタコ自身が語るその半生 第三章
そのときからことあるごとに親戚の大人が家に集まってきて、何度も何度も家族会議が行われました。私自身はその輪に加わることを許されず、なにを話していたのかは後に知ることになります。
そして中学卒業を間近に控えた頃、私は祖母と母と連れ立って青森県に旅行へと出掛けました。私は単なる女所帯の旅行程度に思っていました。しかし青森県の訪れた先で私を待っていたのは、曾祖母の弟子だったという一人の現役のイタコ女性だったのです。
私は簡単な紹介の後、またその場から追いやられ、そのイタコ女性と祖母と母での三者で話し合いが続いたのです。そして私の人生は私の物ではなく、他人の手で決定されてしまったのでした。
有無を言わせず、しかしこれからの人生に対して多少投げやりになっていた私は、中学卒業と同時にそのイタコ女性、(仮にリツさんとしておきましょうか)に弟子入りという形で親元を離れ青森県に移り住み、イタコになるための修行に入ったのでした。
心の中では、まだなんと言いますか、踏ん切りというものがついていなかったこともあり、何度も挫折し掛けました。今となってはもう何十年も前の話ではありますが、恵まれた物質生活を送っていた状況からすれば、ここが同じ日本かと思えるくらいの生活環境に置かれ、一日一日が非常に長く感じられました。
イタコとはいったいどんな能力を持っているのか、能力の取得や向上のためにどんな修行を行うのか、それらをまったく知らないままに私は流されていたのだと言えます。実際のイタコとして独り立ちするための修行は、それはもう血の滲むそれこそ言語に絶するほどの厳しさを秘めていました。自分自身の肉体も精神も強く律しなければいけません。
姿無き人の声を聞くためには、自分自身の感情を心から排斥し、心の容量を空っぽにして、いわゆるあちらの世にいる方と心をリンクさせなければなりません。逃げたい、帰りたい、もう辞めたい。一ヶ月が経つ頃までに、いったい何度そう思ったことでしょうか。
しかし私が心でそう泣き言を言うたびに、リツさんはその不自由な目でキッと私を見据え、なにも言わずに私の心を覗き込むのです。私は恨みました。リツさんを、祖母を、母を、そしてこの血の流れを作った見たこともない曾祖母を。
今でこそなつかしむ余裕もできましたが、当時のことを思い出すと、ただ厳しかったのひと言に尽きます。
しかし生きていくため耐えに耐えて三年ほど経った頃、不思議なことが起こりました。本当にそれはなんの前触れも無く、風が吹けば髪がたなびくように、見えないものの声、人々が持っている縁の力、他人が抱える心の闇、それらが直接私の頭にイメージとして浮かび上がってきたのでした。私はそれを急いでリツさんに伝えました。このとき、私は初めてリツさんの笑顔を見たような気がします。あぁ、リツさんはこんなクシャクシャな表情を作り、笑顔を見せるのだと。
(※以上の文章は、一部加筆修正の上で掲載しております。)