イタコとして霊能者として
イタコ自身が語るその半生 第四章
それからというもの、良い意味でまるで坂道を転げるかのように、トントン拍子で私の眠っていた能力の開花が形になってきたのでした。視力がさらに多少落ちたものの、逆に他の四感がその何倍も鋭くなった上に、第六感と言われるものも鋭くなったのでした。
その頃には眼で相手を見るのではなく、心で相手の思考を感じ取り視るというふうに変わってきていたのでした。相手の姿は幾分ボヤケて見えても、対照的にその心はハッキリと浮かんでくるのでした。そこから私の本格的なイタコ霊能者としての第一歩が始まったと言えましょう。
それからのイタコとしての経験が今の私を支えているとは言え、当時は順風満帆に能力を伸ばしていったわけでは当然ありません。リツさんに弟子入りして五年が経った頃でも、いまだに果たしてイタコとして独り立ちしてできるのかどうか、何度も迷いに迷いました。なにしろ一回口寄せを行い仏降ろしをすると、ドカンと身体が疲れ重くなるのです。いいえ、肉体的な疲れだけではなく、お相手の霊が私の中に入り込むことから来る精神的な疲労の方が大きいと言えましょうか。
なにしろあちらの世から来た霊を身体に引き止めておかねばならないので、物凄い集中力を必要とするのですから。こればかりはなかなか耐え難く、幾度辞めようと思ったか知れません。毎回毎回、「次で、次こそでもう辞めよう。今からでも普通の女性として生きて行こう」そう考えもしました。
しかしあるとき、ご相談者様の亡くなられたお母様を下ろし、相談者と話をさせ、ご相談者様がその場で詫びながら泣き崩れるのを見て、死者の世界にいるご先祖様や肉親、友人、知人と現世に生きるご相談者様との間に立ち、亡き人の想いや意志、無念を伝達するこの責任の重さと行いの重要さを深くそして幾度と無く認識し、続けていこうと決心したのでした。
ですからたとえ科学的根拠に乏しいオカルティズムとして、他人からある種の冷たい目で視線を投げ掛けられようとも、誰かがしなければいけない、ならば力を持って生まれてきた私がその役を担っていかなければならないと痛感したのです。そして今でもこうして電話鑑定という、直接ご相談者様とお会いしない形ではありますが、イタコ霊能者としてお悩みのご相談を受けているということは、やはり自分はこの状態に満足しているのだと言えます。
私は今こうして天啓において、電話鑑定・電話占いという形態を取り皆様のお声を聞いております。縁あって私が電話占い「天啓」と出会ったのも、その名の示すとおり天啓であったのですが、これはまた何かの機会に語ることもあるやも知れません。青森県という限られた場所で、訪れる方だけのお悩みにお応えするのもまたひとつのイタコ霊能者の形でしょう。
しかし私はもっとより多く、全国の方々のお声を聞いて、可能な限り多くのお悩みを感じて、皆さんの心の奥底に眠る想いを読み取り、心そのものを癒すことが仕事としてでもありますが、なによりも私の使命だと思い今に至っております。
(※以上の文章は、一部加筆修正の上で掲載しております。)