守護霊の定義と種類(1)
人を守り、成長を助けるといわれる「守護霊」。しかし守護霊と一口に言っても、さまざまな解釈や定義があります。守護霊と呼ばれる存在には、どのような定義があり、また、どのような種類があるのかを解説していきましょう。
守護霊の定義
まずは守護霊の定義をいくつかご紹介します。一般的に、人間は誰しも、生まれながらにして守護霊という存在がついているといわれています。そして人生に非常に密接に関係しながら守護をするといわれています。
血筋の同じ先祖の霊である
守護霊といえば、日本ではこの定義が定着していました。自分の守護霊は、自分の先祖がなるというものです。およそ300~700年前の先祖の霊が、霊界で修練を重ねて徳を積み、その徳の高い霊の中から選ばれた霊という考えです。
男性には男性、女性には女性の霊がつく
男性には男性の守護霊が中心としてつき、女性には女性の守護霊が中心としてつくという説もあります。
守護霊の一部は自然霊である
守護霊の中心的存在はかつて人間だった霊であるものの、その一部は「自然霊」という存在がなるという説もあります。自然霊とは、この世に一度も肉体を持ったことのない霊のことです。例えば「龍神」「天狗」「妖精」ともいわれる存在です。より高次で大きな自然霊になると、自然現象を司る場合もあります。もともと、高級の自然霊は人間の遠い祖先ともいわれているため、守護霊は皆、祖先といえばそうだとも考えられます。
守護霊は霊的指導を行う存在
守護霊は、我々のすべてを知り尽くしています。あなたが隠れて行った行動でも、そのすべてを見られています。また、性質、気質、好み、過去・現在・未来とあらゆることを知っています。守護霊はなぜこのようにあなたのことを知り尽くしているのかというと、それは指導をして教師のようにあなたを導くためです。そうして魂が成長するのを導く存在が守護霊なのです。
守護霊はインスピレーションを与えている
よく、ピンときてある行動を取ったら、物事がうまく行ったという経験をしたことがある人も多いのではないでしょうか。守護霊は、我々人間にインスピレーションを与える存在と定義してもいいでしょう。何のためにインスピレーションがやってくるのでしょうか。それは、災いから身を守るためです。また、時には、守護霊からのインスピレーションがまったく途切れてしまうという瞬間もくるようです。例えば、世のため人の為ではなく、お金儲けのためにただひたすら突き進むなど、私欲にかられたときなどです。また、このインスピレーションはとくに霊感がなくとも受け取ることができるといわれています。
守護霊は純粋な愛情を与える
守護霊は、インスピレーションを与える存在という定義を紹介しましたが、それに似て、見返りの無い純粋な愛情を与える存在という説もあります。それは、試練の中で苦しみにとらわれる私たちに、時にはなぐさめ、時には強く生き抜くパワーを与えてくれるという意味です。我々人間は、どうしても見返りを求めて、人やもの、ペットなどを愛してしまうところがありますが、守護霊の愛情は、見返りを求めない愛情です。それは、守護霊が自身の目的のために、ただひたすら修行や鍛錬を自ら望んで行っていることが大きな理由です。霊的成長を求めて行っているのです。もともと人間が守護霊に対して何かを返すことは不可能です。
守護霊は霊的なルールに従って指導している
守護霊は人間に愛情を注ぎ、時には手助けをして、人間の魂がより成長に向かうようにしてくれます。そしてそのことで、守護霊自身の霊的成長につながるのです。こうした一連の守護霊が行う行為は、守護霊が好き勝手に行っているわけではありません。霊的なルールの下に行っているといわれています。霊的な法律があり、それに基づいて行っているといってもいいでしょう。その霊的なルールには、人間が嘆き苦しんでいても、すぐに手助けをしないということも含まれています。これは、守護霊にとって耐えがたいものであるともいわれます。
守護霊は「類魂」のうちの一つである
霊界では、霊的レベルを同じくする、つまり魂の成長度合いの同じ霊同士が集団を作っているといわれています。そして守護霊は、その自分と同じ集団の中にいる霊の一つであり、「類魂」と呼ばれるものであるという説があります。この説では、守護霊が必ずしも先祖の霊という血縁とは限らず、むしろ血縁とはまったく異なる類の霊であるという考え方があります。
守護霊もまた霊的成長を行う存在
人間は生きながら、魂を成長させる方向へと向かっています。その成長を助けるために、守護霊がついているのです。しかし一方で、守護霊はその行為を通じて、自らも霊的な成長へと向かいます。それは、守護霊にも何かしら過去の過ちやカルマの精算を行う必要があることを意味しています。それゆえ、守護霊は守護霊として任命されると、その成長のチャンスに喜び、ひたすら奉仕に励むといわれています。