死者を忘れると恨まれて不幸になるのか?
あらゆる人に平等に必ず与えられるもの、それが「死」。生ともっとも強く結びついているもの、それが「死」。「死」とは私たちにとって非常に身近な存在でありながら、その時が訪れるまで知ることも見ることもできません。だからこそというべきか、それにもかかわらずというべきか、人は死者をどう扱うべきなのかと心を悩ませます。なぜなら、死者をどう扱うかで、自分が試されているような気がするからです。
死者を軽々しく扱うと罰があたる、死者を忘れてしまうと恨まれる、死者への悼みが薄れると不幸になるなど、死者への扱いが私たちの生にさまざまな影響を与えると考えられています。死者を想う気持ちもその度合いにも個人差があります。一言に死者は大切に扱うべきだ、粗雑に扱えば不幸になるとは言い切れませんし、その逆に、死者のことばかり思って暮らしていれば幸せになれるかといえば、これもまた真実とはいえません。死者への対応の具体的な例をみていきましょう。
死者を想うあまり遺骨を自宅に置いている
これは、死者が次の世へと向かうことの妨げになります。遺骨を手元に置きたいと思うのは、生きる者のわがままであり未練です。死者のことを想うなら、あるべき場所へと納めましょう。
死者が生きているように振る舞う
この行動は死者を迷わせ惑わせる原因になってしまいます。死者が自分の死を認識できなくなり、地縛霊にしてしまう可能性もあります。死者の部屋をそのまま残すのもおなじ理由でよくありません。生きている者の心の整理をつけるためにも、部屋もまた整理しましょう。
死者の遺品や写真を身につけている
これは、遺品に触れ写真を見ることでほっと安心するならかまいませんが、胸が痛み涙があふれるならやめたほうが無難です。悲しみが強すぎると死者を引き留めてしまい、生きている者が死の世界へと引きずられてしまうことがあります。
死者のことを忘れつつあることに嫌気がさす
人の心は時間とともに変わっていくものです。大切な思い出も時間とともにその胸の中での位置が変化して、思い出す時間が減っていくのは自然なことです。死者を思い出す回数が減っても想う気持ちがなくなるわけではないので、自分批判する必要もなければ、死者に恨まれる心配もありません。
こうしてみていくとわかるように、死者に私たちの強い思いを向けることは、死者のためにはならないことのほうが多いのです。死者は死者の行くべき場所があります。私たちの未練はその邪魔になってしまいかねません。死者のことを想う気持ちが徐々に薄れていっても、そのことで死者に恨まれることもなければ、不幸がもたらされることもありません。ただ、時に何かのきっかけで思い出した時には、感謝の気持ちや愛情をこめて思い出に浸る時間を持つといいでしょう。