昭和の事件に学ぶ
素人が除霊・イタコのことばを誤解する危険性
いまから約50年前、イタコのことば・ご神託を曲解したことから、母親が息子を惨殺するという痛ましい事件が起こりました。母親は強気で思い込みが激しかったようで、家族の制止も聴く耳をもたなかったそうです。
イタコのことばをどのように受け止めるべきか。わたしたちがこの事件から学ぶ教訓は少なくありません。
1970年(昭和45年)の暮れも押し迫った師走の上旬のこと。青森県東津軽郡のとある町で、母親が息子をひどい暴力の末、殺害するという事件が発生しました。
母親はイタコの神託によって息子からムジナの悪霊を追い出そうとした旨を話したそうですが、実際にはイタコは「きょうは除霊できないので、お母さんが抱いて寝るように」と伝えただけだったのです。母親はなぜかそのことばを勝手に解釈し、息子の首を絞め、目や口にも残酷な攻撃を加えて殺してしまいました。
息子は頭痛などの不調を訴えており、当初はご近所のゴミソに相談していたそうです。ゴミソは現実的に親切なアドバイスをされていたようですが、母親は霊的なアドバイスを求めていたため、物足りなさを感じ、遠方のイタコを尋ねたとのこと。
イタコは息子にムジナの悪霊がとり憑いていることを指摘し、後日の除霊のために準備をする風であったのに、あせりからか、元来の性格からか、とんでもないことをしでかしてしまいました。ほかの家族が止めに入ったにも関わらず、悪霊の側に付くのかと凄んで干渉を許さなかったようです。
息子を愛するがゆえと言ってしまえばそれまでですが、この一連の流れにも母親の傲慢さが見え隠れします。まずゴミソがあまりスピリチュアルではなかったというものの、精神科への通院等、適切な助言を受けていたのに軽視した点です。
「ゴミソさんには感謝だね。でも、もう少し霊的なアドバイスがほしいね」と言うような謙虚さが感じられません。息子の不調に対しても、息子の交際相手の悪影響と考えるなど、他者に責任転嫁するような視点が感じられるのです。
殺人におよぶ母親を目撃しながら制止できなかった家族にも理由はあります。母親はふだんから家族を威嚇するように生活していたからです。
しまいにはイタコのことばを素直にも冷静にも受け止めず、自ら除霊もどきなことをして、取り返しのつかないことに発展させてしまいました。悪霊と言うものは、その道のプロフェッショナルであるイタコや、そのほかの霊能者にとっても、命取りになる危険性をもっているのです。
ましてや素人ができる訳がなく、このような結末となってしまうのはある意味、当然だったのかもしれません。つねに独善的な母親のせいで大切な若い命が犠牲となり、周囲も不幸になってしまったのです。
一般の方々がイタコなど、霊能者の神託を聴くとき、あくまで謙虚に、正確に受け止めねばなりません。そして、周囲の方々、とくに家族への配慮を欠かさず、独善的な振る舞いをやめることからはじめましょう。
まとめ)
イタコのことばを曲解し、愛する息子を死に至らしめたお話をご紹介しました。もしかしたらイタコは母親にこそ悪霊が憑いていることを見抜き、とりあえず息子を抱くことで愛情を取り戻させようとしたのかもしれません。
いずれにしても、素人がイタコの神託を早合点する、除霊を試みるような愚行は不幸を招くだけです。冷静さと謙虚さを忘れずに霊能力に接したいものです。