怨霊の発生源(2)
第1話
邪気の痕跡を残しながらも霊自体は見つからなかった
島田氏の話を聞き終えて、いよいよ問題の屋敷、さらには離れた場所に建つという土蔵の廃屋へ向かうことになりました。初めに訪れたのは敷地全体で優に五百坪はありそうな広大な屋敷の方だったのですが、あらかじめ言われていた通り、当主の遺族はすでに逃げ出しており、その静まり返った無人の屋内を島田氏に案内されながら一回りしてみました。不思議なことに頻繁に出るはずの霊体の気配が、その時の私には何故か補足できませんでした。おぞましい邪気の波動は確かに感じるものの、肝腎の女の霊の姿がどこにも見えないのです。相手の実態を掴まないことにはお祓いも何も始まりませんので、仕方なくお茶を濁す形となり、その後は土蔵へと向かいました。
土蔵の廃屋が建つ場所は、屋敷から数百メートルも離れた山林の際でした。またも島田氏の説明に拠れば、元々地主一族の屋敷はここに建っていたが、大正時代に土蔵だけを捨て置いて今の土地へ移されたのだと。「どうしてわざわざ、そんな大掛かりなことをしたのか」とさらに訊ねましたが、そこまでは知らないと頭を横に振るばかりでした。その後、荒れ果てた土蔵の内もひと通り見たのですが、やはりこちらにも霊の実体は見えず、ただ最前と同質の凄まじい邪気が垂れ込めているばかりでした。
数年を経て明らかになったおぞましい真相
結局、霊の姿を見つけられないまま、屋敷と土蔵の土地に巣くう不自然な邪気を浄める処置だけを施して、私の仕事は終了となりました。為すべき事を為したという実感からはほど遠く、とても納得はできませんでしたが、その後さらに月日が経過して、ひょんなことからこの不可解事の全貌が明らかとなったのです。
時代が平成に移ったその頃、私は霊能者としても知られるある密教僧の知遇を得て、彼の草庵によく出入りしていました。ある時、そこへいわくつきの品が持ち込まれたと聞き、さっそく見物に出掛けたところ、目の前に現れたのは朱塗りの陶器壷でした。それを一目見た途端、全身が総毛立ちました。
「御坊、これは……」「やっぱり、分かりますよね。昨日、私のところへ供養して欲しいと持ち込まれたんですが、これだけ強い怨念が染み着いていると下手にお焚きあげもできません。最悪、また人が死にますから」
詳しく霊視したところ、その壷を焼いた際の粘土には人肉と人骨の粉が練り込まれていると分かりました。元の死体は不慮の死を遂げた若い女性。恐らく誰かが供養のつもりで行った細工のようでしたが、その罰当たりな行為のせいで、壷自体が邪気と怨念の依代と化していたのです。壷に取り憑いた怨霊も見えました。全身血塗れで顔の半ばが潰れた無惨な姿は、まさに以前、手掛けた関西地方の案件で取り沙汰されていた女霊そのものだったのです。詳しく訊ねてみると案の定、依頼主の姓は島田でした。ただし、あの島田氏本人は、すでに自殺とも事故ともつかぬ謎の焼死を遂げており、その遺族が「この壷の祟りに違いない」と持ち込んだ品でした。
ここから先は私の推論も混じります。まず島田氏は地主の屋敷が建つ土地一帯がいずれ大規模な宅地開発の対象地になると知り、これを何らかの手段で安価に奪取したいと考えたようです。そんな時にたまたま土蔵の幽霊の件を知り、またその出現原因が蔵の中に収蔵された朱塗りの壷であることも感知したのです。恐らく彼はその壷を屋敷内のどこかへ密かに移動して、霊体の出現場所自体を変えたのでしょう。そして屋敷は怨霊の新たな住み家となり、当主はたちまち祟られて死亡。残りの家族も脅えて土地を去りました。その後、私が訪れた時は、壷はまた別の場所に移された後だったのでしょう。全ては島田氏の目論み通りに運んだわけですが、その当人もまた強烈な怨念の魔手から逃れることはできなかった……。それが真相かと思われます。誠に後味の悪い事件でした。